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- 明治・大正・昭和の三代に渡りご使用になられた御用邸
明治・大正・昭和の三代に渡りご使用になられた御用邸。
1893(明治26)年、大正天皇が皇太子のとき、ご静養のために「本邸」が造営されました。
当時、このあたり一帯は小さな漁村でしたが、気候が温暖なうえ、前面には駿河湾、背後には富士山という風光明美な地でした。
すでに明治政府の高官達の別荘がこの地に建てられていた上に、1889(明治22)年に東海道線が開通し、東京からの交通の便がよくなったことも沼津御用邸の設置に大きく影響したものと思われます。
沼津御用邸への最初の行啓は明治26年7月、御用邸が完成した直後に行われた皇太子殿下(大正天皇)によるもので、この時はおよそ1か月滞在されました。
その後、御学問所として「東附属邸」が建設され、ご幼少であった昭和天皇のお住まいとして「西附属邸」が順次整備され、1922(大正11)年には「御玉突所」が増築されました。
1946(昭和20)年7月の沼津大空襲により、本邸は焼失しましたが「東西附属邸」は焼失を免れ、1969(昭和44)年まで御用邸として使用されていました。
昭和45年3月には、昭和天皇・皇后両陛下が沼津御用邸とのお別れのため訪れた後、沼津市の管理となり、沼津御用邸記念公園として整備され、今日に至っています。
2016(平成28)年10月には、沼津御用邸記念公園の一部の景観が「旧沼津御用邸苑地」として国名勝指定を受けました。
西附属邸
建物だけでなく室内の家具・調度品まで復元されており、当時の皇族の生活を偲ぶことができます。
東附属邸
皇孫殿下の御学問所としての性格を受け継ぎ、文化活動のための施設となっています。
歴史民俗資料館
焼失した御用邸本邸の跡地に建てられ、駿河湾で使われてきた漁具類や沼津の地場産業となった干物作りの道具、湿田農耕の資料などを展示しています。
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