富士山信仰の面影が残る富士吉田市上吉田地区で、富士講の人々を支えた御師の家「御師旧外川家住宅」の現地レポート

御師旧外川家住宅


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御師旧外川家住宅

富士講を支えた御師の町

富士講が盛んだった江戸・明治時代、富士吉田市上吉田地区、通称「御師(おし)の町」には多くの「御師の家」が軒を連ねていました。
富士講でやってきた人々は、まずこの「御師の家」に立ち寄り、祈祷などの登山の準備を行っていました。
最盛期には86軒もの「御師の家」がありましたが、富士講の習慣が薄れてくると段々と減っていき、今では2軒が残るのみとなっています。
「御師旧外川家住宅」は現在、「御師の家」を営んでいませんが、その歴史を今に伝える貴重な建物として世界遺産・富士山の構成資産の1つとなっています。

御師は富士講のスーパーコーディネーター

「御師(おし)」とは、そもそも御祈祷師のことです。
この「御師の町」では、彼らは神職の役割を果たしながら、富士講信者の様々なサポートを行っていました。
例えば、

  • 富士講の人々の為の祈祷
  • 富士山信仰の布教
  • 自宅を宿泊所として提供
  • 食事の用意
  • 剛力の手配

などなど、富士講に関わる様々なことを一手に引き受けていました。
「御師旧外川家住宅」では御師や富士講に関わる資料が多数展示され、御師の暮らしぶりをうかがい知ることができます。

 

御師の家

まず「御師旧外川家住宅」見学前に、「御師の家」の特徴的な造りについて、頭に入れておくとより楽しく見学できるかと思います。
ここでは、“本御師”の家の造りを主に紹介します。

“本御師”と“町御師”

御師町が成立した当初から御師を生業としていた家を“本御師”と呼びます。
それに対して、富士講が盛んになってから、御師から株や旦那場(たんなば)の権利を買い御師となった家は“町御師”と呼びます。
“本御師”の家は間口が狭く奥に長い地割で、奥まっている傾向があります。
御師は神主の資格も持っていたので、その家は神社と同じような造りだと思うと分かり易いかと思います。
奥に行けば行くほど神聖な場所と考えられていたため、このような細長い造りとなったようです。
“町御師”の家は、参道に面した土地を後から購入しているので、参道からすぐ屋敷に入れる場合が多いようです。

上吉田の屋敷割図(明治初期)

「上吉田宿と御師」の看板案内図より
「上吉田の屋敷割図(明治初期)」

御師の家の特徴 その1
タツ道

奥まった場所に屋敷がある本御師の家には、細長い引き込み道があり、「タツ道」と呼ばれています。
「タツ道」は、神社の参道に相当します。

御師旧外川家住宅 タツ道

御師の家の特徴 その2
門柱

屋敷が奥まっている「御師の家」の入口に立っているのが門柱。
ここに提灯を下げ宿坊の目印としていたようです。
もう「御師の家」として営業はしていないけど、この門柱をしっかりと残している家を御師の町で多く見ることができます。

御師旧外川家住宅 門柱

現役 御師の家「大國屋」さん

ちなみに、富士吉田市で現在でも「御師の家」を営んでいるのは2軒のみ。
1軒は団体客を主に受け入れてくださる「大國屋」さん。

御師の家 大國屋

現役 御師の家「筒屋」さん

もう1軒は、個人客を受け入れてくださる「筒屋」さん。
富士講の習慣が段々と薄れ経営が難しくなった現在でも、頑張って伝統を守ってくださっています。

御師の家 筒屋

御師の家の特徴 その3
提灯

門柱以外にも、富士山信仰を支えた宿坊の名残として、提灯を掲げている家が多数見られます。
御師町の雰囲気を今でも味わえ、私のような観光客にとってもありがたいことです。

御師旧外川家住宅 提灯

御師の家の特徴 その4
中門(なかもん)

奥まっている御師の家には、「中門」という立派な門があります。
これは、神社の楼門に相当するそうです。

御師旧外川家住宅 中門

御師の家の特徴 その5
ヤーナ川(間の川)

御師の家には、「ヤーナ川」と呼ばれる小川が流れています。
この小川は、北口本宮冨士浅間神社の大鳥居前にある御手洗川と繋がっています。
つまり、その御手洗川の縮小版。
さきほどの「上吉田の屋敷割図」を見ると、この「ヤーナ川」の流れが、全ての御師の家に届くように御師の町は区切られています。

御師旧外川家住宅 ヤーナ川

御師の家の特徴 その6
御神前の間

神職の資格を持つ御師の家には、富士山の祭神を祀る「御神前の間」があります。
つまり家のなかに一つの神社があり、富士山の神様「木花開耶姫命(このはなさくやひめ)」と夫神様の「彦火瓊々杵命(ひこほのににぎのみこと)」、さらに父神様の「大山祗神(おおやまつみ)」が祀られています。
富士講信者たちは、ここで祈祷などを行い、登拝の準備を行いました。

御師旧外川家住宅 御神前の間

以上がおおまかな「御師の家」の特徴でした。
全てが全ての「御師の家」に当てはまるわけではありません。
むしろ、富士講の習慣が薄れた現代では、これらを維持するのは大変な苦労があるかと思われます。
けれど、これらのうちの1つでもしっかりと伝承していこうという粋な心意気を御師の町では、垣間見ることができます。

御師旧外川家住宅

御師旧外川家住宅

「御師旧外川家住宅」の看板案内図

  • 中門
  • みそぎの滝
  • 受付・事務所
  • 主屋
  • 離座敷
  • 屋敷神石祠
  • 富士講の石碑群
  • タツ道
御師旧外川家住宅 看板案内図

さて、そんなこんなの「御師の家」の特徴を踏まえた上で、「御師旧外川家住宅」を見学していきます。
この「御師旧外川家住宅」は、世界遺産・富士山の構成資産にもなっています。
構成資産になっている御師住宅は計2軒ありますが、もう1軒の小佐野家は現在も住んでおられるので非公開となっています。
外川家はおよそ55年前の1962(昭和37)年まで富士講信者を受け入れていました。

御師旧外川家住宅

中門(なかもん)

「御師旧外川家住宅」にも、立派な「中門」があります。

御師旧外川家住宅 中門

表札には、誉之家(ほまれのいえ)
一家から出征した兵士が戦死したことを示しています。
外川家の方も、悲しい時代を乗り越えてこられたことが伺えます。

御師旧外川家住宅 誉之家

ヤーナ川(間の川)

中門をくぐると、「ヤーナ川」が流れています。
今はガッチリと水路に蓋がしてありますが、紙垂(しで)の垂れている木柵のところから覗くと、しっかりと小川が確認できます。
当時の富士講信者は、この水路で身を清めていました。

御師旧外川家住宅 ヤーナ川

旧外川家住宅の母屋は1768(明和5)年に建造された、御師の家の中でも古く貴重な建物です。

御師旧外川家住宅 母屋

富士講ご一行様が主屋へ到着すると、先達は右側の式台玄関から、その他の富士講信者たちは左側の縁側から、それぞれ内部へ上がっていったそうです。

ちなみに、講には先達・講元・世話人の三役がいて、その他の人を講中と呼びます。
「先達」は、いわゆるリーダー。
人望の厚い人間がなり、参詣時の指揮案内を務めました。
「講元」は、積み立てたお金を管理する人。
「世話人」は、集金、雑用、講員の勧誘などを行っていました。

御師旧外川家住宅 玄関

玄関から続く3部屋に、富士講ご一行様は宿泊します。
この3部屋に、多い時には50人が雑魚寝していたそうですが、宿泊代金はいくらだと思いますか?
だいたい400文です。
現代の金額にすると10,000~20,000円ほど。
金鳥居より中が神域となる御師の町で、神域の外にあるお宿と比べると、およそ3倍の値段だったそうです。

御師旧外川家住宅 玄関から続く3部屋

雑魚寝でこの値段、高いと思いますか?
いえいえ、それに伴った至れり尽くせりのサポートを行っていたのです。

  • 寝床や食事を提供
    自宅を開放して、寝床や食事を提供してくれました。
  • 祈祷などの信仰の案内
    「御師の家」に泊まれば、わざわざ北口本宮冨士浅間神社に参拝しなくても、神職の資格がある御師さんが必要な祈りを全て済ませ、翌日そのまま富士山に向かうことができました。
  • 剛力さんの手配
    登山の際には、道案内&荷物運び&食事当番をしてくれる心強い味方、剛力さんも手配してくれました。

まさに、御師さんは現在でも大変な富士登山を完璧に支えてくれるスーパーコーディネーターだったのです。

御師旧外川家住宅 内装

お風呂場もしっかり備え付けられています。

御師旧外川家住宅 風呂場

風呂場の天井は、だいぶ凝った造りとなっています。

御師旧外川家住宅 風呂場の天井

玄関から入ってすぐの建物は、およそ250年前(1768年)に建てられたものです。
富士講が盛んになると手狭になり、奥の建物の離座敷が150年前(1860年頃)に増築されました。

御師旧外川家住宅 中庭

昔懐かしい木でできたお手洗いの扉です。
扉の上から4つ目の横木を横にスライドすると、ドアが開きます。
便座等は新しくなっていますが、扉は今でも当時のままです。

御師旧外川家住宅 お手洗いの扉

およそ150年前に増築された、離座敷の様子。

御師旧外川家住宅 離座敷

御神前の間

「御師旧外川家住宅」にも、しっかりと「御神前の間」があります。
ここで、富士講信者たちは祈祷などを行い、登拝の準備を行いました。
離座敷を増築する以前には、主屋の最奥部に「御神前の間」が存在していたそうです。

御師旧外川家住宅 御神前の間

左隣に鎮座するのは、富士講の指導者食行身禄(じきぎょうみろく)の像です。
食行身禄は、富士講の中興の祖として人々に敬われた人物で、富士山七合五勺目(現在の8合目)で即身仏になったと云われています。

御師旧外川家住宅 食行身禄の像

屋敷の奥には、1段高くなった部屋があります。
そう、これは位の高い人専用のお部屋です。
先達などが主に利用していたようです。

御師旧外川家住宅 屋敷奥の1段高くなった部屋

この部屋の釘隠しは、東京浅草にある丸鉄講社のマークです。
講社とは、富士山を信仰し富士講を行う人々が地域ごとに結成する団体のことです。
このマークは「講印」と呼ばれ、講社ごとのシンボルマークを表しています。
家紋のようなものですね。

御師旧外川家住宅 釘隠し

丸鉄講社は、この離座敷を造るにあたり尽力した講社だそうで、至る所に講印が見られます。

御師旧外川家住宅 丸鉄講社

また、屋敷内のあらゆる場所に各地の講社が納めたとされるものが飾られています。

御師旧外川家住宅 離座敷

これは浅草の山包講社の先達である梅津金兵衛さんが、33度登頂し大願成就を成し遂げ、金5円を永代御供料として明治22年8月に収めたことを証明しているようです。
こうして見ると、裕福な講社が一目で分かります。

御師旧外川家住宅 山包講社の奉納額

富士講信者は、この白い行衣(ぎょうい)を着て富士登山します。
当時の富士登山は今のように5合目まではバスで上るわけにはいかず、途中洞穴で夜を過ごしたり色々苦労のある行程だったようです。
だけど、その苦難の道を乗り越えれば、神様のいる極楽浄土へ辿り着けるという思いで登っていました。
つまり、この白い衣装は極楽浄土へ向かう死に装束そのもの。
霊山に登って下るのは、生まれ変わることを意味していたそうです。

御師旧外川家住宅 行衣

登山の度に、この行衣に御朱印をもらい、お守りとしていました。
また、登山証明書としての意味もあったそうです。

御師旧外川家住宅 行衣と御朱印

麓はこの服装でいいけど、富士山頂でこの衣装じゃ凍え死んじゃうんじゃない?
と思いますよね。
そんなときは、行衣の上に登山時の防寒用として(どてら)を羽織りました。
この褞袍(どてら)は、剛力さんたちが担いで登っていたそうです。

御師旧外川家住宅 褞袍

当時、提供していたお膳も展示されています。

御師旧外川家住宅 お膳

夕食の内容を見ると

  • 白ご飯
    (雑穀とかを食べていた時代です。超豪華な食事です。)
  • 汁物
  • 漬物
  • 刺身(マグロ)
    (山に囲まれている富士吉田では沼津からマグロ1匹を運ばせ、この地域の御師宅で分け合ったそうです。)
  • 煮物
  • 酢の物など
今の旅館で出てくるメニューそのもので、贅沢な食事だったそうです。
御師旧外川家住宅 夕食

また、翌朝の朝食の内容は

  • 白ご飯
  • 味噌汁
  • 生卵
    (生卵は、滅多に食べられない贅沢品でした。)
  • 焼きのり
  • 梅干しや漬物
  • 焼き魚や蒲鉾など

これまた旅館メニューそのものですね。

御師旧外川家住宅 朝食

登山中のお食事は?というと…
これも御師さんが用意してくれます。
午前に登山を開始するので、その日の昼飯、山小屋に泊まるときの夕飯、翌朝の朝飯、そして昼飯と、それら全食を5人分、この箱に詰め込んで剛力さんが運んでくれていました。

御師旧外川家住宅 弁当

お膳には、講印が書かれているものもあります。
この器には、山の下に“包”と書かれており、山包講社のもののようです。
お得意さんの講社は、予め自分たちの器を用意して御師の家に収めていたそうです。

御師旧外川家住宅 お膳

御師さんのお仕事は登山シーズンが終わっても、まだまだあります。
冬になると、各講の元に赴き、祈祷や布教活動、また旅行説明会のようなこともしていたそうです。
また、次の富士講の日程も確約してもらい、しっかりと営業活動も行っていました。
その時に持参していたチラシのようなものや、お札を刷るための版木も展示されています。

御師旧外川家住宅 版木

屋敷内には、富士山信仰に関わりのあるものや旧外川家住宅で使われてきたものがまだまだ多数展示されています。

御師旧外川家住宅 展示品

「御師旧外川家住宅」には、貴重な資料がたくさん展示されています。
神職の傍ら宿の主として食事や宿泊を賄い、各種手配や営業、布教活動まで行い、富士山信仰を支えていた御師さんの生活をうかがい知ることができます。
また展示を通して、古来から崇められてきた富士山の歴史を、改めて知ることもできます。
「御師旧外川家住宅」には親切な案内の方も常駐していらっしゃいますので、不明なことも色々と教えてもらえます。
知識の殆どなかった私に、本当に丁寧に教えてくださいました。
「御師旧外川家住宅」は、富士山信仰について学ぶ場所として訪れて頂きたいお勧めの観光施設です。

御師旧外川家住宅 外観
 
住所 山梨県富士吉田市上吉田3-14-8
TEL 0555-22-1101
お休み 火曜日
  • 火曜日が祝日の場合は、その翌日
年末年始(12/28~1/1)
営業時間 9:30~17:00
  • 最終入館は16:30まで
駐車場 併設の「御師町お休み処」駐車場利用
(無料)
アクセス

中央道河口湖ICから約3km(約5分)

東富士五湖道富士吉田ICから約3.5km(約5分)

富士急行河口湖駅から
富士急行「河口湖線」乗車
「北稜高校入口」下車
約10分+徒歩約1分

料金
御師旧外川家住宅 大人 ¥100 小中高生 ¥50
ふじさんミュージアムとの共通入館券 大人 ¥400 小中高生 ¥200
富士山レーダードーム館
ふじさんミュージアムとの共通入館券
大人 ¥800 小中高生 ¥450
 
  • 2018年11月22日
  • 掲載する内容は正確性を心がけておりますが、現地の事情や状況の変化により当てはまらない場合もございます。 お出掛け前に、現地にご確認くださいませ。

周辺観光施設への
アクセス時間

 
  • 所要時間は、道路状況等により変更になることがございます。
    おおよその目安としてご参考になさってください。
 
 
 
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