江原素六や沼津兵学校の資料を中心に、沼津市の近代化の歩みを紹介する「沼津市明治史料館」。
現地の様子を徹底レポート

沼津市明治史料館

2024.4.17 2019.3.7
沼津市明治史料館

ご案内

  • 江原素六や沼津兵学校の資料を中心に、沼津市の近代化の歩みを紹介する史料館

郷土の偉人・江原素六えばら そろく氏や、静岡徳川藩の藩校沼津兵学校の資料を中心に、戦国時代から近世まで沼津市の近代化の歩みを紹介する史料館です。
館内には、江原素六 氏の旧家も移築・復元され、氏の当時の生活を偲ぶことができます。

現地レポート

「沼津市明治史料館」の看板案内図

沼津市明治史料館 看板案内図

沼津市明治史料館では沼津の歴史に関する資料が多数展示されていますが、その歴史を語る上で欠かせない人物がいます。
それは、沼津の発展に大きく貢献した江原素六えばら そろくです。

沼津市明治史料館
江原素六えばら そろく

江原素六は徳川家の静岡移封後に旧幕臣として沼津に移住し、愛鷹山の払い下げ交渉や新たな事業を興した方です。
政治家や教育者としても活躍し、沼津兵学校、駿東高等女学校、そして、あの麻布学園を創設しました。

江原素六
麻布学園(麻布中学校・高等学校)

麻布学園と言えば、東大合格者を毎年100名近く輩出する中高一貫の超エリート校。
その創設(1895年)から81歳で亡くなるまで、江原は校長の地位にあり、学園の基礎を築き上げました。

また、江原は静岡師範学校や東洋英和学校の校長も務め、人生の大半を教育に捧げたといえます。

麻布中学校・高等学校 江戸村のとくぞう
沼津兵学校

江原が最初に創設した学校が、沼津兵学校です。
1868(明治元)年11月、沼津城内に開校した徳川家兵学校を起源とし、1872(明治5)年5月、政府の陸軍兵学寮と統合されるまでの僅か3年半しか存在しませんでしたが、日本近代化に大きく貢献する人物を多数輩出しました。

沼津兵学校の門柱

明治史料館の玄関前には、沼津兵学校の門柱が移設されています。

沼津兵學校址

沼津兵学校は当時、城岡神社のある場所に建っていた為、境内には記念碑が建っています。

沼津兵學校址
西周にし あまね

ちなみに、沼津兵学校の初代校長は哲学者の西周
西の名前から名付けた「あまねガード」付近に、居を構えていたそうです。

あまねガード
兵学校附属小学校

沼津兵学校の予備教育機関として設けられたのが、兵学校附属小学校。
沼津市立第一小学校の前身で、日本で最初にできた近代的小学校として、その後の教育制度の発展に影響を及ぼしました。

沼津市立第一小学校
日本の近代的小学校発祥の地碑

兵学校附属小学校が以前あった場所には、現在、日本の近代的小学校発祥の地碑が建っています。

日本の近代的小学校発祥の地碑
沼津病院

沼津兵学校設立に伴い陸軍軍医を養成する為の沼津陸軍医学所も、1869(明治2)年3月に設立されました。
後に、診察料無料で庶民にも開放され、地元に大きな恩恵をもたらしました。
1945(昭和20)年、日本海軍解体と共に海軍共済病院としての役目を終えた後、施設は沼津市に移管され、現在の沼津市立病院となっています。

沼津市立病院
駿東高等女学校

江原は旧幕臣の子女への教育の為、駿東高等女学校の設立にも尽力しました。
これが、現代の県立沼津西高等学校です。

県立沼津西高等学校

教育関連の施設以外にも、江原の偉業を伝える史跡を沼津の至るところで見ることが出来ます。

愛鷹山払い下げ記念碑

1873(明治6)年、地租改正により国有地となった愛鷹山を、20年間無償で貸してもらえるよう、交渉に当たったのも江原です。
その後、突然、愛鷹山が御料林(皇室領)となったときにも、再び交渉に当たり、払い下げに成功しました。

愛鷹山払い下げ記念碑

「inn the park(元・少年自然の家)」付近にある「愛鷹山払い下げ記念碑」

大政奉還後、旧幕臣は職を失い、その生活は特に苦しいものでした。
そんな旧幕臣の為に、江原は士族のリーダーとなって様々な士族授産事業を興しました。
開墾、牧畜、養蚕、製茶、製紙、製靴、運送などなど。
その記念碑も、沼津市内の至る所に建っています。

江原素六先生記念公園にある銅像

江原素六先生記念公園にある銅像

緬羊めんよう牧場の跡

その1つが、1873(明治6)年に開設された羊の牧場。
61頭の羊が飼われ、羊毛を綿屋に預けた記録も残っています。
しかし、疫病で多くの羊が死んでしまった為、牧羊事業からは明治15年頃に撤退し、茶園や牧牛・養豚などに切り換えていきました。
その牧場があった場所には現在、記念碑が建てられています。

緬羊牧場の跡
三椏楮苗圃みつまたこうぞびょうぼ

江原は士族授産事業の1つとして、和紙を製造することも考えていたようです。
和紙の原料となる三椏みつまたと楮こうぞの苗木が、約5ヘクタールの敷地に植えられていました。

三椏楮苗圃跡
江原牧場跡

西洋式の牧畜も士族授産事業の1つとして行われました。
12ヘクタールの敷地で当時目新しい西洋式の牧畜を行い、外国種の牛や羊を飼育して、バターや牛乳を作っていたそうです。

江原牧場跡

そんなスゴイ偉人、江原素六に関する資料を多数展示しているのが、沼津市明治史料館です。

沼津市明治史料館の内部撮影には、許可が必要になります。
職員の方が親切に応対してくださいますので、ご確認の上、マナーに沿ったご見学をなさってください。

沼津市明治史料館
江原素六の旧宅

沼津市明治史料館が建つ場所は江原の旧宅があった場所で、史料館の3階には家屋の一部が移築・復元されています。

江原素六の旧宅

館内には、江原の生い立ちや功績などを紹介する資料が数多く展示されています。
政治家や教育者として多くの人々を導いた江原の生涯を偲ぶ、貴重な資料がご覧頂けますので、ぜひ沼津市明治史料館に足をお運びください。

また、江原のご命日である5月19日には、「そろくまつり」が開催されます。
それに合わせ特別展示も行われますので、こちらもぜひチェックしてみてくださいね。

沼津市明治史料館 館内
沼津の歴史

また、もう1つの展示スペースには、沼津の歴史を紹介する資料が数多く展示されています。
戦国武将や国人領主が支配していた領地の時代から宿場町、城下町、保養地、そして軍需工場を抱える軍都へと変化していった沼津の歴史を学ぶことが出来ます。

沼津市明治史料館 展示物
沼津城

江戸中期、沼津には水野忠友によって築かれた沼津城がありましたが、現在、市内に城の面影を残すものは殆ど残っていません。
沼津城の本丸があった中央公園の片隅に、沼津城本丸址の碑が建っているのみです。

そんな数少ない沼津城の貴重な資料も、沼津市明治史料館に展示されています。

沼津城ゆかりの品々
沼津城の石垣

屋外には、沼津城の堀に使われていた石垣もあります。

沼津城の石垣
戦争

戦争コーナーでは、当時のビラや千人針など当時の様子を伝える展示物が多数並んでいます。

沼津市明治史料館 戦争に関する展示
電波探信儀三型

昭和18年6月には、沼津駅の北側に広さ160万平方メートル、22,000人もの人々が働く海軍工廠こうしょうが設立され、電波探信機や航空用無線機が製造されました。
そこで開発された機器類は、戦後、設計図や書類と共に殆ど破棄されましたが、奇跡的に残っていた超貴重な電波探信機が展示されています。

沼津市明治史料館 電波探信儀三型

この探信機は、それまでとは全く比べ物にならないほど高性能なものでした。
戦艦や全国各地約200カ所に設置され、アメリカの爆撃機が襲来する状況を刻々と伝えたそうです。

電波探信儀三型
沼津大空襲

1945(昭和20)年7月17日に起きた沼津大空襲では、M47焼夷爆弾5,806発、M17集束焼夷弾3,323発、E46集束弾40発が投下され、沼津市の89.5%が破壊されました。
展示室では上から爆弾が迫ってくる様子が模造爆弾で再現され、その恐ろしさを私たちに伝えています。

沼津市明治史料館 沼津大空襲に関する展示

沼津市明治史料館では、沼津の歴史を物語る貴重な資料が数多く展示されています。
宿場町や城下町、軍都や大空襲など、時代の要所要所で、その時代のキーワードとなる事柄を、ここまで経験した地方都市も珍しいかと思います。
沼津の奥深い歴史に触れ、こんな身近なところに歴史を紐解くヒントがあったのかと、改めて沼津に興味を持つことができました。
また、ここで得たヒントを頼りに、市内の至るところにある歴史の痕跡を探してみるのも楽しいものです。

沼津市明治史料館

基本情報

住所 静岡県沼津市西熊堂372-1
TEL 055-923-3335
お休み 月曜日、毎月最終平日、祝日の翌日(土日を除く)、年末年始(12/29~1/3)
営業時間 9:00~16:30
料金
大人 ¥200
小中学生 ¥100
駐車場 あり(無料)
アクセス

東名沼津ICから約4km(約12分)

JR沼津駅南口より富士急行バスで2番線(江原公園経由)乗車「明治史料館前」または「江原公園」下車(約15分)

サイト ホームページ
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