旅と酒を愛し、沼津に魅せられた歌人・若山牧水の生涯と作品を紹介する記念館「若山牧水記念館」

若山牧水ぼくすい記念館

2025.3.1
若山牧水記念館

注目ポイント

旅と酒を愛し、沼津に魅せられた歌人

若山牧水ぼくすい(本名:繁)は1885(明治18)年、宮崎県日向市に生まれました。
医師の家に育ち、宮崎県立延岡中学校を卒業後、早稲田大学英文学科へ進学。
在学中に短歌を本格的に学び、尾上柴舟おのえさいしゅう門に入ります。

25歳のとき、歌集『別離』が評価され、一躍歌壇に名を馳せました。
各地を巡りながらその情景を短歌に詠んでいた牧水ぼくすいは、富士山や千本松原の美しい風景に魅了され、昭和9(1920)年、35歳で沼津への移住を決意します。
初めは香貫山西麓に住みましたが、大正14(1925)年、千本松原近くに新居を構えた牧水ぼくすいは沼津の風景を詠んだ名歌をいくつも残しています。
特に「沼津の名月に照らされし富士の山」や「千本松原の風に寄せる」といった歌は、彼の沼津での日々の情熱を感じさせます。

1927(昭和2)年、妻の喜志子きしこさんと共に朝鮮揮毫きごう旅行に出発し珍島や金剛山を巡るものの、体調を崩して帰国。
翌年の1928(昭和3)年9月、長年の大量飲酒による急性胃腸炎と肝硬変を併発、更に様々な症状が重なって体調を崩し、沼津市の自宅で43歳で死去しました。
墓所は千本松原にゆかりのある千本山乗運寺にあります。

旅と酒をこよなく愛していた牧水ぼくすいは、生涯に1,800首もの短歌と紀行文を残しています。
旅先では各地の風景を歌に詠みながらも、名酒を味わうことを楽しみのひとつとしており、1日に一升を飲むこともあったといわれています。

1885年
(明治18年)
0歳 宮崎県に生まれる。
1904年
(明治37年)
19歳 早稲田大学文学科に入学。
同級の中林蘇水、北原射水年
(白秋)と共に「早稲田の三水」と呼ばれる。
1910年
(明治43年)
25歳 歌集『別離』を出版。
1912年
(明治45年)
27歳 太田喜志子と結婚。
1913年
(大正2年)
28歳 長男・旅人たびと(1913〜98)誕生。
1920年
(大正9年)
35歳 千本松原の景観に魅了され沼津に移住。
歌集『渓谷集』を刊行。
1925年
(大正14年)
40歳 千本浜近くに新居を建設。
1926年
(大正15年)
41歳 千本松原伐採計画の反対意見を寄稿、計画は中止となる。
1927年
(昭和2年)
42歳 朝鮮揮毫きごう旅行に出発するが、体調を崩し帰国。
1928年
(昭和3年)
43歳 逝去。

有志の熱意によって誕生した牧水ぼくすい記念館

沼津市若山牧水記念館は、牧水ぼくすいへの敬愛が形になって誕生した記念館です。
牧水ぼくすいが亡くなった後、30有余年に渡り牧水顕彰けんしょう活動を続けてきた沼津牧水会を中心に「牧水ぼくすいが愛した千本松原に記念館を」との声が高まり、「沼津牧水記念館建設発起人会」が設立されました。
彼らの協力を得て、昭和56(1981)年に募金活動が始まり、その熱い思いが実を結びます。
6年の歳月をかけて6千万円もの寄付が集まり、沼津市に牧水記念館を建設することが決定しました。
そして、牧水ぼくすいの没後60年となる昭和62(1987)年11月、ついに記念館がオープン。
以来、牧水ぼくすいを偲ぶ多くの人々が訪れ、その足跡をたどっています。

牧水ぼくすいの情熱によって守られた千本松原

記念館が建てられた千本松原は、牧水ぼくすいにとって特別な場所です。
風光明媚な千本松原に魅せられ牧水ぼくすいがその近くに住居を構えた後、静岡県が松原の一部を伐採する計画を打ち出しました。
この計画に強く反対した牧水ぼくすいは、「沼津千本松原」と題する文章を新聞に投稿、更に松の伐採に反対する市民大会で熱弁をふるい反対運動の先頭に立ちました。
その結果、静岡県は計画を断念することに。
牧水ぼくすいの反対運動は、自然保護運動の先駆けとして後に評価されています。

現地レポート

「若山牧水記念館」の案内図

若山牧水記念館 看板案内図

千本浜海岸にほど近く、「文学の道」沿いにひっそりと佇む『若山牧水記念館』。
松林に囲まれた別荘地の一角にあり、手入れの行き届いた庭園が隠れ家のような雰囲気を醸し出しています。

若山牧水記念館 外観

駐車場は、9台分のスペースを確保。
バス停がすぐ目の前にあるため、公共交通機関でのアクセスにも便利です。

若山牧水記念館 駐車場

建物の入口前にあるベンチは、千本浜公園にあった樹齢約400年の老松「千本太郎」の材から作られたものです。
どっしりと、歴史の重みを感じさせます。

若山牧水記念館 木製ベンチ

館内へ足を踏み入れると、まず目に入るのは広々としたロビー。
大きな窓ガラスの向こうに、手入れの行き届いた日本庭園と松林が広がっています。
庭園を囲う「沼津垣」は、西風が強いこの地域に江戸時代以前から伝わる独特の工法で、風よけとして古くから利用されてきました。
直径1cmほどの細いメダケを十数本ずつ束ねて杉綾模様に編み、風情ある景観を生み出しています。

若山牧水記念館 ロビー

牧水ぼくすいが実際に使用していた木製の机が、ロビーに置かれています。
その机に座り、来館記念の記帳ができるのもここならではの特別な体験。

若山牧水記念館 牧水が使用した机

資料室は広くはないものの、牧水ぼくすいにゆかりのある直筆原稿や日記、書簡、作歌ノートなど、貴重な資料が揃っています。

若山牧水記念館 資料室入口

反時計回りに進むと、宮崎での幼少期から沼津移住後の晩年まで、その歩みを辿ることができます。
これらの貴重な資料は、牧水ぼくすいの長男で歌人の若山旅人たびと氏をはじめ、関係者の協力によって収集されたものです。

若山牧水記念館 資料室

推敲を重ねた原稿からは、“自己即詩歌”を信念にした牧水ぼくすいの情熱が伝わってきます。
展示を通して、彼の人柄や、日々の暮らしをより身近に感じることができます。

若山牧水記念館 資料室

「書斎の復元」コーナーでは、牧水ぼくすいが愛用していた硯や落款印が展示され、当時の雰囲気が再現されています。
牧水ぼくすいは、夕食後に“酒”を嗜み、夜21時頃に就寝、翌朝4時には起床して書斎に籠る生活を送っていたそうです。
詩歌に捧げた日々の一端を垣間見ることができます。

若山牧水記念館 書斎の復元

牧水ぼくすいが建てた木造二階建ての居宅を50分の1スケールで再現した復元模型も展示されています。
千本松原の美しい景観に魅せられ、約500坪の土地に新築したこの家は、彼が夢見ていた理想の住まいでした。
しかし、43歳の若さで他界した牧水ぼくすいは、この家にわずか3年間しか住むことができませんでした。
その後、家は戦災で焼失しましたが、模型を通じて当時の暮らしを感じ取ることができます。

若山牧水記念館 居宅のミニチュア

こちらには、牧水ぼくすいの妻・喜志子きしこさんの胸像も飾られています。
安定した収入のなかった牧水ぼくすいの創作活動を支えたのは、他でもない喜志子さんでした。
牧水ぼくすい亡き後も彼の遺稿を整理し、大切に守り続けた彼女の献身があったからこそ、今も私たちは牧水ぼくすいの作品に触れることができるのですね。

若山<ruby>牧水<rt>ぼくすい</rt></ruby>記念館 妻・喜志子さんの胸像

見学後は、ロビーでひと息つくのもお勧めです。
喫茶も兼ねたロビーでは、和の趣きが漂う空間で抹茶やコーヒー、おしるこなど和の甘味を楽しむことができます。

若山牧水記念館 ロビー

ロビーの一角には、牧水ぼくすいの作品や関連書籍が並ぶコーナーも。
落ち着いた空間で、静寂を楽しみながら文学に浸るひとときを過ごすのもいいですね。

若山牧水記念館 書籍コーナー

また受付では、 牧水ぼくすいの作品や名歌が書かれた色紙・短冊、絵葉書などを購入でき、ご自宅でも文学の余韻を楽しむことができます。

若山牧水記念館 受付

若山牧水ぼくすい記念館は、彼の詩歌の世界だけでなく、人生や家族との繋がりを感じられる場所です。
松林に包まれた静かな空間で、時を超えた文学の香りを堪能してみませんか?

若山牧水記念館 資料室

基本情報

住所 静岡県沼津市千本郷林1907-11
TEL 055-962-0424
お休み 毎週月曜日 (祝日の場合は翌日)、年末年始(12/29~1/3)
営業時間
記念館 9:00~17:00
会議室 9:00~21:00
料金
高校生以上 ¥200
小中学生 ¥100(沼津市内の小中学生は無料)
駐車場 有り(無料)
アクセス

東名沼津ICから約8.5Km(約25分)

JR沼津駅(南口)から東海バス「N45」乗車「牧水記念館」下車(約10分)

サイト
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