富士山と花々の美しい競演、心奪う古刹の絶景「興徳寺」

日蓮宗 大日蓮華山 だいにちれんげさん興徳寺こうとくじ

2024.9.25
日蓮宗 大日蓮華山 興徳寺

ご案内

富士山と花々の共演絶景が楽しめる

富士宮市の高台に位置する「日蓮宗 大日蓮華山 だいにちれんげさん興徳寺こうとくじ」は、晴れた日には富士山を一望できる絶景ロケーションにあります。
春には、樹齢250年を誇る枝垂れ桜をはじめ、境内の桜と富士山の美しい共演を楽しめることで知られ、写真愛好家たちにとっても人気のお花見スポットです。
また秋には、石段の両側を彼岸花が絨毯のように真っ赤に染め、参拝客の目を楽しませます。

花の見頃シーズンは、公式HPなどで駐車場情報をチェック!

興徳寺こうとくじは新東名新富士インターから約17km、車で約30分程度の場所にありますが、周辺道路はあまり広くありません。
車でお出掛けでの際には、対向車等にご注意ください。

また無料の駐車場もありますが、彼岸花の見頃シーズンには混雑が予想されます。
近くに臨時駐車場が設けられることもあるので、公式HPなどでご確認の上、お出掛けください。

日蓮宗の息吹感じる700年の歴史を誇る古刹

興徳寺こうとくじは鎌倉時代の1289(正応2)年、日蓮の高弟である日興上人にっこうしょうにんによって開かれた700年以上の歴史を誇る古刹です。
日興上人は1246(寛元4)年に甲斐国で生まれ、日蓮の門下に入り、駿河や甲斐地方を中心に布教を行いました。
1288(正応1)年、身延山の地頭との対立により身延を離れ、富士宮市の馬見塚うまみづかに光徳寺を建立しますが、これが現在の興徳寺こうとくじの前身となります。
その後、戦国時代から江戸時代初期にかけて興徳寺こうとくじは現在の地に移転され、1654(承応3)年に本堂が建立されました。
1859(安政6)年の災害で本堂が一度消失しますが、1879(明治12)年に現在の本堂が再建され、今日に至ります。

1246(寛元4)年 日興上人が甲斐国(現在の山梨県)に生まれる
1283(弘安6)年 身延山での日蓮聖人の百ケ日忌で身延輪番が定められる
1288(正応1)年 身延の地頭・南部実長との教義上の対立により、日興上人が身延を離れる
1289(正応2)年 馬見塚に光徳寺を建立
1333(元弘3)年 日興上人が88歳で入滅
1596(慶長元)年~
1615(元和元)年
興徳寺が現在地に移転
1654(承応3)年 本堂建立
1701(元禄14)年 「大日蓮華山光徳寺」と称する
1859(安政6)年 災害により本堂が消失
1860(万延元)年 山崩れにより庫裏が全壊、同年に再建
江戸時代末期 第43世日晄上人が「興徳寺」へ改称。
1879(明治12)年 第48世日啓上人の代に本堂を再建。

彼岸花シーズン

「日蓮宗 大日蓮華山 興徳寺」の看板案内図

日蓮宗 大日蓮華山 興徳寺 看板案内図

石段の両側に広がる真っ赤な彼岸花が、参道を彩ります。
鮮やかな色合いが独特な雰囲気をかもし出し、参道入口では彼岸花の美しさに心奪われ、まるで、この先に特別な空間が待っているかのような錯覚さっかくを覚えます。

日蓮宗 大日蓮華山 興徳寺 彼岸花が咲く時期の参道の様子

富士山を背にした風景は、真っ赤な花々が富士山の雄大さを引き立て、まるで自然が描いた美しい絵画のようです。

例年の見頃は9月中旬から10月上旬頃となっていますが、2024年は少々遅めの開花となっています。
詳しくは、公式ホームページでチェックしてみてくださいね。

日蓮宗 大日蓮華山 興徳寺 彼岸花と富士山
日蓮宗 大日蓮華山 興徳寺 彼岸花 日蓮宗 大日蓮華山 興徳寺 彼岸花

基本情報

住所 静岡県富士宮市下柚野431
TEL 0544-66-0039
駐車場 有り(無料)
アクセス

新東名新冨士ICから約17Km(約30分)

JR富士宮駅から富士急静岡バス乗車「柚野公民館」下車(約30分)+徒歩5分

サイト ホームページ
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